「湘南さむかわラジオ」への思い~My Music Life~

今から12年前に寒川にコミュニティーFMを立ち上げようと考えた。

私は東京の渋谷で生まれ育った。
いろいろなものが溢れている町で、様々なことを見て聞いて大人になった。
そのころの東京にはたくさんの触れ合いがあり、人の優しさに出会うことも多かった。
いわゆる江戸っ子気質。家ではいつもラジオからFENが流れ、蓄音機からはクラシック、ジャズ、ウェスタンが流れていた。


物心ついたころからカントリーミュージックになじみ、中学生の時にギターを始めた。
ギターを手に入れるために、14歳の夏休み、新宿で牛乳瓶の洗浄のバイトを高校生と年齢を偽称して金をためた。日給380円2週間働いて、3500円のモンタノのウェスタンギターを買った。
高校生でカントリーバンドを組んで東京のあちこちのホールでのウェスタン演奏、
それからの音楽活動も55年をこえた。

写真1:キャトルコールで朝までライブ後、
西部劇を模した観光施設「伊豆ゴールドタウン」の跡地にて演奏。左端が私。

知る人ぞ知る幡ヶ谷のキャトルコールの時代「ジミー時田とウェスタンナイトライブでドラムを叩き、スリム山口氏と出会い、そのあたりから、現在私の音楽活動のフライドバンドができた。

20代半ばからクロックスロードが米軍キャンプで演奏するのにも参加させてもらいカントリーをさらに勉強し幅を広げていった。
30歳前後の数年は、色々なライブハウスで毎週末、フライドバンドとしてのライブをした。
30歳を過ぎ、米軍横須賀キャンプでメロディライダースのメンバーとしてベースやギターとしてソロで参加した。
30回で終了した年1回開催された平塚グラスオープリーには24回参加した。

写真2:米軍横須賀キャンプにて、メロディライダース、右端が私。

その後、障がい者団体のコンサートや相模原のチャリティーコンサートでの、フライドバンドとしての参加をきっかけに、音楽活動を通して何か協力ができないか!そんなことから自分でチャリティーコンサートを企画し募金活動を始めた。
平成3年、長崎県雲仙普賢岳の火砕流の災害が起きた年だ。
その後25年間チャリティーコンサートを続け、その間、阪神淡路大震災、東日本大震災が起き、集まった募金は200万以上全額を、神奈川新聞厚生文化事業団や寒川町社会福祉協議会などに寄付してきた。いまだに福島の児童養護施設への支援活動は継続している。

写真3:寒川町民センターにて、チャリティーコンサート。中央が私。

今から24年前、当時、平塚商工会議所会頭でありナパサ社長の故松上氏がフライドバンドのファンであり、その縁で、今井せいじとして、平塚FM湘南ナパサの開局から関わり2018年11月に1200回の最長寿番組「アメリカンミュージックショップ」を現在も放送している。
その間、当時の大和市長とはライブ仲間という縁でFMやまとの立ち上げにもパーソナリティーとして参加して1年ほど番組を担当した。
震災が起きた日311は私の番組「アメリカンミュージックショップ」の放送日で、その夜、機材が倒れ放送できない悔しさがあった。
その後数か月、情報提供が必要なときに計画停電などを理由に局は放送を中止していた。
どんな状況でも情報を伝えることの必要性、また安らぎの音楽を届けたい思いに虚しさを切に感じた。

ほぼ4年目になる「寒川にコミュニティーFMを開局する会」の活動、寒川では設立のための莫大な資金の調達が困難で、まずは、インターネットラジオから「湘南さむかわラジオ」の立ち上げのスタートラインに立った。長年の経験を活かして、この思いを伝えるために放送を進めていきたい。

今井 せいじ